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(2006・1・30発行)はこちら>>
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●第3回 地質によって大きく異なった採炭環境(2005・6・30発行)はこちら>>
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●第1回 辛く厳しい職場も、今では懐かしい思い出(2005・4・30発行)はこちら>>
>>>メルマガバックナンバー登録はこちらから ◎第1回 釧路コールマイン事業グループ 事業担当班長 高橋さん(38)
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┃「辛く厳しい職場も、今では懐かしい思い出」 ┃
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わたしが釧路コールマインの前身である「太平洋炭鉱」に入社したのは、
今からちょうど20年前、昭和60年4月のことでした。
最初は坑内の最奥部で採炭機械の保守や管理の仕事を3年間、
つづいて「掘進」と呼ばれる、採炭現場(切羽・きりは)までの坑道を
掘り進める作業を4年間ほど行いました。
全身がそれこそ石炭のように真っ黒けに汚れる職場ではありますが、
炭鉱の世界では危険で汚れる、いわゆる「3K」部署の方が花形であり
給料も高いことから、配属を希望する職員も少なくはありませんでした。
わたしは坑内作業はこの7年間だけで、平成3年からは事務所での
地上勤務になってしまいました。
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┃ドイツ製の大きな掘削機械 ┃
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掘進係の作業内容はというと、コンティニアスマイナーという
ドイツ製の大きな掘削機械を使って新しい切羽の現場までの坑道
(つまり通路)を、周囲が崩れないように鉄骨や木材を組みながら
掘り進むというものです。
作業は常に5人1組で行ない、先山(さきやま)と呼ばれるリーダーを中心に、
中山、後山(あとやま)の4人が協力して枠を組みながら、
坑道を作って行きます。
入社4年目とはいえ、まだまだ新米の若僧だった自分が
それほど重要な役目を任されるはずもなく、
もっぱらコンティニアスマイナーの保守・管理や、掘削した土砂を
地上へ送るベルトコンベアーの点検・整備に追われていました。
当時わたしは、釧路市内でも東端にあった太平洋炭鉱の反対側、
およそ20キロあまりも離れた西部の昭和地区に住んでいたこともあって、
お恥ずかしい話ですが、高校生になるまで同じ釧路市内に炭鉱があると
いうことすら知りませんでした。
考えてみれば、そんな自分が炭鉱のお世話になり、20年も経った現在まで
関わり続けているということも不思議な話ですよね。
| 用 語 |
解 説 |
| ◆切羽(きりは) |
広義では採炭、掘進等の作業現場のことだが、普通は採炭場のことをいう。 |
| ◆掘進(くっしん) |
坑内構造をつくるため、坑道を炭層や岩盤中に掘り進める作業のこと。 |
| ◆コンティニアスマイナー |
沿層坑道の掘進及び柱房式採炭に使用する機械で、カッティングドラムを炭壁に押しつけ、回転させ上下に移動することによって石炭の切削と積込みとを同時に行うことができ、非常に高い能率をあげることができる。柱房式採炭切羽や沿層坑道掘進用の主要機である。
※動画はこちらから見る事が出来ます。 |
| ◆先山(さきやま) |
熟練技能鉱員で、作業の指導的立場に立って働く人。 |
| ◆後山(あとやま) |
技術未熟で先山(=熟練技能鉱員で、作業の指導的立場に立って働く人)のテコとなり働く作業者のこと。 |
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昭和2年頃の採炭風景です。夫婦でやまに入り、働きました。写真で腹かけ、ほおかむり姿の男性が先山(さきやま)、うしろの女性が後山、先山がツルハシでうすい炭層を掘り、後山が掘り出された石炭を集める作業をします。 |
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